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太田愼吾

編集長 : 太田愼吾
 二級建築士、宅地建物取引士
 住宅の企画・設計・施工管理
 静岡県中部の島田市で
 工務店に勤務

 

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もしも先祖がお殿様だったら 家系をさかのぼるスリル
■□ 図らずも馬鹿が露呈する瞬間 □■


すると不思議なことに胸の名刺をみて「太田さんていうんですね。太田備中守(おおたびっちゅうのかみ)の子孫ですか?」と仰るじゃないですか。そんなことが1日のうちに3回です。更に驚いたことには、その中に旧姓「太田さん」がおり、『静岡にも「太田姓」は多いですが、私の祖先はやはり掛川の方から来ました。』といいます。「(太田)道灌(どうかん)さんですねー」と仰った方もいましたね。これって一体何なんでしょう?静岡市の人っていうのは家康話で盛り上がりますから歴史マニアが多いんですかね?

ちなみに太田道灌は扇谷上杉氏の家臣で1457年に江戸城を築城した戦国時代の武将です。後に徳川家康が入城しますが、道灌の直系のひ孫の娘が家康の愛妾である「お梶の方」です。こんな風に家康と太田氏が繋がっています。当時の江戸城は質素だったようですが家康が天下普請で江戸城を拡張し、現代にいたって皇居として使われています。この太田道灌の子孫が近世の掛川城主を務めたの太田備中守です。

掛川城主というと太田備中守よりも羽柴(豊臣)秀吉の臣下だった山内一豊が有名ですね。近年NHKの大河ドラマになった、いわゆる内助の功をテーマにし一豊の妻「千代」を主人公とした司馬遼太郎原作「功名が辻」でも掛川が出てきます。

掛川藩主 太田資美私の二つ上になる兄はこの掛川城主の姓が同じ「太田」であるという理由だけで小学校時代「びっちゅう」というあだ名で呼ばれていましたが、これはその言葉の響きが非常にポップな感じがしたからでしょうけども小学生が友達から「びっちゅう」と呼ばれているのはいかがなものかとは思います。
私もことあるごとに「太田備中の守」の子孫か?といわれ続けてきましたが、私の母に言わせれば「そんなはずがない。」です。

左の人が掛川藩太田家11代の太田資美(おおたすけよし)候です。1854 - 1913年の人で写真が残ってました。なかなかのイケメンでちょっとうれしい。
この人は物好きで福沢諭吉が慶応義塾へ外国人教師を呼ぶ折に財的支援などもしている。

親戚のおばさんのなかには家系を熱心に調べた人もいたらしいが、私の母がいうとおり「そんなはずがない。」である。

閉鎖戸籍謄本などでさかのぼると私の先祖は数代先に愛知県の西尾からこの掛川に移住してきていることが判ったが、掛川城主の太田氏もやはり西尾城の城主から掛川へ移封してきているところをみるとそれなりの繋がりはあるようだ。

唯一の明るい材料としては我が家の家紋と掛川城主の太田家の家紋が一致していることだ。

我が家の家紋 お墓に刻まれた桔梗紋掛川城の資料室にある長持にある太田桔梗

それでもやはり「そんなはずはない。」んだよな。

やれやれ今回も建築の話に繋がらなかった。

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日常雑記 | 23:21:13 | Trackback(0) | Comments(0)
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