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なぜ化学系の企業が住宅を売っているのか? ハウスメーカーの不思議
■□ ハウスメーカーは戦後経済成長の象徴だった □■

なぜ化学系の企業が住宅を売っているのか?って不思議に思ってたところ、ハイムの積水化学工業、へーベルハウスの旭化成工業、シャーウッドの積水ハウス、これら3社の母体は財閥解体前の日窒コンツェルン(野口財閥)だということが分かったという記事を引き続いて書いています。

積水ハウスの創業者、田鍋健(まさる)氏が日本経済新聞社刊「私の履歴書 経済人23」(昭和62年)に詳しく描かれていることはすでに延べました。巷にあふれる積水ハウスの発展史の原典は間違いなくこれであろうと思われます。その類の記事には田鍋氏の女性関係も含めてプライベートに関する著述はことごとく省略されているのは、立身出世物語としては不向きということでしょうか。それほどこの著には惜しげもなく書かれているということで氏の人と成りが窺われて好感がもてるのは、私だけではないでしょうね。

今回は日窒コンツェルンの成立から敗戦後の財閥解体、積水化学工業の成立まであたりを書こうと思います。

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田鍋健氏は日本15大財閥である日本窒素肥料に入社後、同社朝鮮勤務、敗戦後日窒に戻り、積水化学工業を経て積水ハウスに代表取締役として移っていきましたが、典型的サラリーマンであると自らその著書でいいます。氏は戦後日本の代表的経済人でもありますが、西宮市甲子園口にある自宅は積水ハウスのプレハブ住宅だと氏が語るとおり、いわゆる「家」づくり文化には拘っていないようで、その点で立身伝でよく引用される職人気質で無学から身を起こしたホンダ技研創業者である本田宗一郎氏とは本質的に異なるようです。

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(2006/11/11)
毛利 甚八

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のちに積水ハウスの社長となる田鍋氏は大阪生まれで東大経済学部を卒業後、当時の化学業界を代表する日本窒素肥料に就職し、新地朝鮮へ赴任しています。日窒コンツェルンが1908年野口遵によって設立された日本窒素肥料を中心とする日本15大財閥の1つであることはすでに述べました。
硫安(農業用窒素肥料),人造絹糸(化学繊維レーヨン),合成アンモニアなどの製造に成功し、最盛期には従業員8万人以上、総資産50兆円(現貨幣価値で)の世界第3位の化学メーカーにまで発展。当時、日本は朝鮮半島に進出し化学工業の拠点を築き始めていますが、朝鮮窒素は昭和2年に設立され、その後、日本政府は軍需生産拡大のための物資動員計画を立てますが、生産拠点のひとつである朝鮮において、日膣と朝鮮総督府は関係を深めることになります。なお昭和54年住宅メーカーが建設省と作った住宅生産振興財団の会長に就く浅村廉氏は朝鮮総督府出身で、当時、田鍋氏と深い親交があったことは著の中で氏自身が述べているところです。

1945年敗戦を迎え、日本窒素肥料はGHQにより財閥指定され解体させられましたが、これにより総資産の90%近くを失い日窒コンツェルンは名目上解散、日窒はいくつかの企業に解体させられています。延岡工場の事業を受け継いだのが旭化成工業、水俣工場の事業を受け継いだのが新日本窒素肥料(現チッソ)です。水俣工場は不幸にして後に水銀中毒による水俣病を引き起こして有名になっています。田鍋氏は一旦、日窒本社へ復帰します。

日本が戦後の混乱から立ち直り、新たな成長期にはいる昭和30年ころ、日本窒素肥料のプラスチック事業から生まれたのが積水化学工業です。日窒の常務だった上野次郎男氏が積水化学の社長に就任。田鍋氏は上野の要請で積水化学に取締役として転入していますが、氏はその著の中で実際には本流を外れ子会社に移ることは不満であったことをもらしています。

その後、塩ビ管不況の中で、業界協調するか、それとも独自路線を貫くか否かという経営方針上の問題で上野氏と田鍋氏の間には確執が生まれてゆきますが、そんな中で上野氏は積水化学の主力製品であるプラスティックの用途拡大を考え、住宅をオールプラスティックで作ることを思いついたのでした。結局は骨組みは軽量鉄骨を使って、部分はプラスティックを出来るだけたくさん使った住宅にしようということになるわけですが、これが昭和35年に発表された「セキスイハウスA型」です。同年、生産の拠点となる積水ハウス産業が設立されました。
出資比率は積水化学工業が30%、新日本窒素肥料、旭化成工業の旧グループ、三和、大和両銀行、第一生命保険、丸紅飯田(現丸紅)、三菱電機がそれぞれ10%と旧財閥関連会社で作った企業です。日本は結局のところ戦後も財閥に支配され続けたといえるでしょう。

なお日窒コンツェルンを作った野口氏に続いて上野氏、田鍋氏、浅村氏と全て東大出身者であるところは良くも悪くも戦後いかに東大官僚中心に政財界が動いていったかということをも表しているように思います。

次回記事へ続く

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テーマ:住宅・不動産 - ジャンル:ライフ

脱ハウスメーカー志向 | 15:35:35 | Trackback(0) | Comments(0)
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